1970年〜|東京のキッズカートスクール、ジュニアカートスクール

NPO東京ドライビング ラボ

ヒストリー【1970年〜1989年】

1970年代〜

所沢サーキットや武蔵野サーキット、入間サーキットなどで、コブラカート・カーレル・ヤマハ等のレーシングカートで活動を始める。

1981年

1981年「富士ロングディスタンスシリーズ」参加:シリーズ3位(参加車両:マツダRX3改)

1982年〜1983年

1982年「富士ロングディスタンスシリーズ」参加シリーズ8位(参加車両:マツダRX7ル・マン仕様253)
1982年「世界耐久選手権富士6時間レース」参戦 (参加車両:マツダRX7ル・マン仕様253)
1983年「世界耐久選手権富士1000キロレース」参戦 (参加車両:マツダRX7ル・マン仕様253)
1983年「RRC筑波耐久レース」IMSAクラス優勝 (参加車両:マツダRX7ル・マン仕様253)
このレースを最後に、レーサーとしては引退をする。

83年「WEC世界耐久選手権・富士1000キロレース」 でのスターティンググリットにて左が本人

83年「WEC世界耐久選手権・富士1000キロレース」 でのスターティンググリットにて左が本人

1986年

「見るスポーツから、参加するスポーツへ」というモットーを掲げ、ディンキーカートサービスとモータースポーツプラザレーサーズのジョイントによるレーシングカートスクールを開催。現在のフォーミュラバトルの原点がここです。

当時のカートスクールのパンフレット。貴重な1枚です。

当時のカートスクールのパンフレット。貴重な1枚です。

1987年

1987年に旧新東京サーキット(四街道)の主催にて「ステップ・アップ・システム」カートスクールを企画運営を行う。

1989年

1989年に「ライドオンフォーミュラ」FJ1600レーシングスクールを開校。フォーミュラスクールの草分けとなる。

当時のメンテナンス工場、スクールマシンを含め20台以上のフォーミュラを所有

当時のメンテナンス工場、スクールマシンを含め20台以上のフォーミュラを所有

当時のメンテナンス工場、スクールマシンを含め20台以上のフォーミュラを所有

当時のメンテナンス工場、スクールマシンを含め20台以上のフォーミュラを所有

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